三陸海岸を旅してきました。
《日本人なら、一度は見てくるべき》
震災直後のボランテイアから戻りながら、何も言わない娘。
「どうだったの?」としつこく聴く私へ投げた答えです。
その言葉がずっと気に成っていました。
あれから、腰を痛めての自信喪失、いわゆる「旅」は避けていたのです。
やっと、願いがかない、夏が明けて・・・思い切っての夫とのバス旅行。
【景色と食を愉しみ、三陸鉄道に乗って三陸海岸を行く旅】
観光目的のようなスケジュールに後ろめたさはおぼえたものの、
夫婦二人では当てのない土地をめぐる力は無し、業者に頼るほかありません。
新幹線盛岡駅からバス、北上山地を超えて、宮古に出、海岸線を釜石、大船渡、
陸前高田、気仙沼へと南下して、再び、北上山地を抜けて一関へのコース。
勿論、三陸海岸の絶景と、東北の穏やかな田園風景を十分楽しみました。

雨降る北山崎から【鵜の巣断崖】を臨む・・・写メにて・・・
でも・・・
何処を走っても必ず、どこかに地震、津波の爪跡は残って居るのです。
快適なホテルも、レストハウスも、整備された道路にも、海岸線にも・・・
そのうえ、ガイドさんが、折々に、場所場所で、津波の怖ろしさと
着々と?なんとか進んできた復興の現状を、誠実に語り続けてくれました。
復興の兆し?
はい、観光施設と、物資の運搬の為の自動車道路は急ピッチで完成です。
むしろ、リニューアルした施設に、ガイドさんも驚くぐらいです。
ガイドさんは、都会から来た観光客を刺激しないように気遣いながらも
はっきりと、経験談や現地の人々の心持を伝え、
被った惨状と、人々の勇気ある行動を語り続けてくれました。
「あれが・・・」と指し示す各町の仮設住宅!・・・TV画面以上に粗末です。
これでは、暑さにも寒さにも耐えられそうも無い。
なにより狭い。二人あてが4,5畳と言います。
そこに、最小の家具と寝具と・・・暮らせるものでしょうか?
プライバシーなど在ったものじゃない!
人間としての尊厳を損ないかねない!
災害直後は、ひとまずということで仕方ないでしょうが、
一年たったら、「もうちょっと人間らしい住まいに立て替えてあげたい。」
為政者・・・仮設住宅を慰問したなら・・・は、そう想わないのでしょうか?
復興というものの
道路工事と宅地の造成ばかりが目だつだけの、津波災害で名前を覚えた各町々。
そこにあるのは、格差と理不尽、哀しさと切なさ、元気なのは資本主義と商業主義ばかり。
復興が進んでいるのか、進んでいないのか、解りませんでした!高田松原の濱・・・あの一本松が残っている濱・・に祈祷の場が・・

メモリアルとして残されたスーパーの残骸。

私の皮肉れた目には、それらさえ、商業主義の象徴に?・・・
リアス式海岸の細くとがって切り込んだ海岸、背後に迫るのは、急峻な坂を持つ山々、
ほんの狭い狭い濱を前にした小さな集落が、それぞれ孤立してつらなっているのが三陸海岸。
激甚な被害を被った大きな原因は、「どうして、こんな低い土地に住んで?」でしたが、
過去に大被害を受けた経験が在りながら、其処に住まいを定めるしかない理由がありました。
二日目は晴天、ナナカマドの赤い実。

晴れあがった【浄土が浜】遊覧は船から・・・ウミネコへの餌やりも愉しみました。
仙台、松島より壮大な景色、この地が、かつて海の底だったことに納得しました。
今度は、福島の地に足を運ぼう。
百聞は一見に如かず・・・見てこなくては何も言えないと悟ったからです。